これからの壱岐の観光振興を、本市全体的な地域振興という視点からとらえ、行政・各産業などが意識を合わせ、それぞれに活性を高めながら観光立島を目指す「癒しの島づくり懇談会・第一回壱岐島地域の活性化を語る車座談義」が二十二日に開かれた。
同懇談会は、本島は、美しい海、砂浜に代表される自然、海山の幸、多様な歴史遺産など、魅力あふれる自然に恵まれており、九州本土との交通アクセス、利便性が高まる中、産業の中で最も地域経済への波及効果が大きいとされる観光業の方向性や振興策など、島を愛する心を共通の認識に、参加者全員が心を開き情報を共有し、行動を起こすことで本市の活性化につなげよう—と行われた。
当日は、本市がルーツとされる神社など六社を巡ったあと、郷ノ浦町、ビューホテルで車座談義が行われ、国土交通省九州運輸局・海事振興部旅客課、市・観光担当、壱岐観光協会、県神社庁壱岐支部、報道など約三十人が出席して、今後の懇談会の方向性、取り組みなどについて研修・協議した。
車座談義では、今回出席したメンバーを基本メンバーに、名称を「壱岐の島・生き生きサポート」とし、今後は、観光に興味のある団体や個人、教育関係の団体などメンバーに加えながら、環境美化、自然から学ぶ勉強会の開催、神話などの伝承、神社の紹介、パソコンを使ったPRなど、さっそくメンバーそれぞれが出来ることを確実に実践し、ブログをを立ち上げて活動の報告などしながら、次回の会合に向けたテーマなどをそれぞれに考えることになった。
また、今回は世界的なアーティストで本市出身の長岡秀星氏、邪馬台国は壱岐にあったとする著書を著した角田彰男氏、素粒子が専門で水や歴史に精通する農業物理学者・山田智之氏も参加もあった。
A round table meeting had held at the island of Iki to discuss how to create sustainable economy for Iki that has many shrines, rich history, beautiful natures and fresh foods.
Wednesday, May 23, 2007
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7 comments:
壱岐って歴史がある島ですよね~!シルクロ-ド渡って中国・韓国なんかから異国文化の中継地点だから!神社とか沢山あるんですよね。古くは日本の砦だった所ですから。今も、海は綺麗だし観光する所も沢山あるしのんびり出来るし!海っていったら夏って思いますが、10年程前に冬に行った事があるんですが以外にも温泉があったんですよ!秋から冬にはまた行って見たいと思います。
壱岐・対馬は「東洋のクレタ島」と言われるほどの歴史があると壱岐の新聞で見た。なーるほどっと、納得しました。知らないのは、感じないのは、地元民かと!失礼はご容赦ください。
壱岐サロンで聞いたお話「壱岐を訪れ、よいとこはどこですか?」ときくと、「壱岐にやー、なんもなかよ」という答えには驚いたと。
先ずは島民の意識改革から・・・その責は議員先生たちですよねえ。
http://www.sesshuukai.com/HTML/Iki-kureta.htm
sincyanさま。
壱岐の秋・冬は観光に行くところではありませんよ。壱岐生まれの(壱州人)実感です。なぜなら、地理的条件から、玄界灘の気圧配置「西高東低」の北西風は厳しいものです(青春時代を農家手伝いの経験者故の意見です)。ただし、今は、一家にニ三台軽自動車がある時代、車で観光・温泉、新鮮な海の幸、壱岐牛とともに、皇室ゆかりの温泉は、お勧めではありまする。ごめん!
今日(3日)のNHKニュースで弥生時代は従来の紀元前5世紀説が紀元前10世紀にさかのぼると報じている。壱岐には「弥生の風景が未だにのこる」といわれています。原の辻の発見でますます、その姿が現れようとしているという。歴史上の記録として最古の魏志倭人伝、ついで、古事記・日本書紀などにみる古里壱岐は大陸との交流の中継基地として重要な役割を果たしていたことは素人目にも理解できる。特に、壱岐国ルネッサンスに関係してみて驚いたことは、延喜式内社24座、対馬には29座という断然多い玄界灘の神々・・・。これらの神々が日本の国の土台を築いたと。
提言「Ⅰ」この歴史上の背景を考えて24座の神社の修復・整備事業に市を挙げて取り組んでもらいたい。
特に、壱岐国一之宮タナガオ神社と並ぶタナガヒメ神社の再興は急を要する壱岐市の心と思う。
原の辻博物館を有効に機能させるためには壱岐の島 いきいきサポートの一大プロジェクトと思います。障害となるであろうイデオロギー、宗教の問題は公に税金の投入を阻み、日本の歴史・伝統・文化の原点をも阻む要素でなっていることは今日の姿をみれば理解できます。
しかしながら、今や、世界は、イスラム・キリスト教の宗教戦争の姿を呈しており明確な答えはアメリカも出せないでいる。これを救うのは日本、日本人の感性(大自然への畏敬の念)であると世界も認めていることを・・一国一文明の国、日本なのです。
「近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。果たせるかなこの国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。
私はいつもこの広い世界のどこかに、一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、最後には闘争に疲れる時が来るだろう。このとき人類は必ず真の平和を求めて世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国を作って置いてくれたことである。」
今やらねば 何時できる 市の為政者がやらなくて誰がやる それは、元寇の役に倒れた先人の魂の叫びなのである」
市政を決定するのは議員方の凛とした、厳とした識見・勇断、ではないか。子々孫々のための政治であることはいうを待たない。
「提言ⅱ」
hodaimori さんは書きました...
幼少の頃「正月には、必ず新しい着物を着せられ、お賽銭をもらって鎮守の森の神様(爾自神社)をお参りし、神楽を見て楽しんだことが思い出される(国家神道の子だったのでしょう)。そこには何があるかは知らなかったが一つの正月の習慣として子ども心に刻みこまれていた、また、盆や花祭りには菩提寺が子どもたちの楽しみの場でもあった。
ここで、培われたことは、三つ子の魂となり、人の道が教え込まれていたように思われる。去る7月5日偶然に私用で帰郷。そして、気になっていた旧七社参りを地元の方にお願いして参拝して回った。7月7日の七夕には月読神社に七夕祭に誘われ参加し、次の日に旧七社参りをした。
古希を迎え、自然に古里に目が向くようになり、壱岐国ルネッサンスの心にも感動をしていたゆえか、その想いは大変強いものであり、感動を新たにした。
戦後のGHQの神道指令で破壊しつくされようとしたが、日本の文明の素晴らしさゆえか国体は維持されたが神社の荒廃はいかんともし難い現実となり今日の姿なのであろう。
日本の国そのものが文明と認められていながらその大きな精神的支柱が音をたてて壊れようとしている。壱岐市も老齢化。人口減で将来の見通しは悲観的なことばかりが聞こえてくる。明るいニュースは原の辻博物館のビッグなプロイジェクトが動き出してはいるが、聞こえてくる島民の声は、第二の夕張になるな、その責任はなどなどである。しかし、議会は承認して、2009年の開館に向けて大きく動き出しているではないか。市の意思で決定されたプロジェクトである、このプロジェクトを支える大きな力が神社にはあると確信する。
願わくば、東洋のクレタ島といわれるほどの壱岐・対馬、そこには九州のほとんどの神社が延喜式内社として鎮座している。島民の皆さん、特に為政者のみなさん、先人たちの姿を神社に見出し、その心に目を向ければ、サムシング・グレートの力が湧いて来ると思うものです。壱岐の島の恵で世界の女性の心をえぐる必需品パール・ネックレスが壱岐から生まれているという。他にも、麦焼酎は世界のブランドとなり日本中が注目しだいている。すべからく、大自然へお陰ではないでしょうか。島民一丸となって七社参りと24座の社殿の修復・復興に取り組まれんことを提言ⅱと致します。みなさんいかがでしょうか??
車座談義で話題になった推理小説「邪馬台国五文字の謎」が07.12.7長崎新聞によるとさだまさし・赤川次郎作品とともに東京・大阪・福岡三大都市アンケートで上位15位以内に入ったようです。壱岐を主役にした歴史推理小説としておすすめです。
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